話し合いは平行線のままに終始した。年が明けた一九七三(昭和四八)年一月、学生自治会は連名で、学長・理事長に対して、ふたたび学費値上げと朝霞移転の白紙撤回を「公開要請文」で求めた。そして、反対運動の学生が学外で会議中の理事長らを連れ出し、学内の二号館前で七時間余りの会見を強要・拘束する事件が起きた。大学側は、学費は現行のままとし、朝霞地区への教育機関設置の推進などを表明したが、大衆団交には応じなかった。学生側は、一部の学生が事務室に乱入し、いくつかの校舎と正門にバリケードを築いたが、大学側は、全学休講の措置をとって、機動隊を学内に導入しながら、学内整備と学年末試験の準備をおこなった。その際、機動隊と学生との衝突があり、検挙者一名と負傷者が出た。結局、大学側は、学年末試験を異例のレポート方式に変更すると新聞で発表し、二月末から三月中旬までという長期間のロック・アウト態勢で、紛争の再発を抑えた。朝霞移転と学費値上げ問題は一九七四、七五年と続き、学内では大衆団交の要求や学外を含む武装学生の乱入と暴行・破壊事件、および学年末試験のレポート方式や分離試験方252
元のページ ../index.html#254