ショートヒストリー東洋大学
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朝霞移転と反対運動東洋大学の紛争は、学部新設にともなう校地不足の解決がそもそものはじまりであった。それから五年間におよぶ激しい紛争がひきおこされて、大学側はその対応に終始し、この問題の根本的な解決は未着手のままで残されていた。一九七二(昭和四七)年三月、大学院経営学研究科の設置を申請し、その際に校地不足問題の解決を確約した「念書」をふたたび文部大臣に提出した。そのために、理事会は新校地として、埼玉県朝霞市に二万三〇〇〇坪の土地を取得することを決定した。一〇月三日、大学側は「学生諸君へ」を発表して、新校地として朝霞地区の土地を購入するために交渉中であることを表明したが、以後、この教養課程の朝霞移転と学費値上げ問題をめぐって、学生運動はまた活発化した。一一月から一二月にかけて、学生側は、学長・理事長に対して、朝霞移転および学費値上げ問題に関する「公開要請文」を提出し、大学側は、「学生諸君へ」の文書で大学の現状を説明し、さらに学生側が要請した、五時間余りの大衆団交がおこなわれたが、結局、第七章 大学の「大衆化」251    

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