大衆会見も、物別れのまま終わる経過をたどっていったが、この会見の終わる三〇分ほど前から、体育会系などの一部の学生たちはバリケードを排除しはじめた。その結果、九月七日以来の五〇日間におよんだ封鎖は解除された。すでに、一般学生は進級・卒業・就職が不可能になるという危機感をもっていた。また、反対運動の全学共闘会議の内部にも意見の対立があり、共闘会議が学生の意思の代表ではなく、政治的イデオロギーの代弁者にすぎないとみられるようになっていた。これに対して、全学共闘会議の学生は、今度は校舎の内側からバリケードを築いて立てこもった。そして、二九日未明には、角材などで武装した他大学の支援部隊を含む約四〇〇名が、「全学共闘派支援と学園封鎖奪還を企図」して、東洋大学に押し寄せてきた。一般学生、教職員、校友は、大学正門などで待機し、これを阻止するため武装学生の説得にあたろうとしたが、武装学生は投石と角材による殴打を繰り返し、約三〇名の負傷者が出た。学長は機動隊の出動を要請したが、武装学生はその到着の前に退去した。だが、機動隊が引き上げた明け方の六時ごろ、ふたたび外部の学生およそ二〇〇名が大学構内に侵入し、清掃中の学生に暴行を加え、ふたたびバリケードを築いた。しかし、登校してき248
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