ショートヒストリー東洋大学
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対立と不信結局、大学側は前期試験を中止せざるを得なくなった。そして、一週間の授業も中止し、一〇月一日から再開することにしたが、事務局では紛争の長期化に備え、大学周辺の会館・旅館・銀行などを借りて仮事務所を設置した。危惧していた混乱が現実となったので、父兄会では文書を発表して「東洋大学全学生は、不法暴力的占拠の学内を正常化し、一日も早く授業開始ができるように行動していただきたい」と訴えた。九月末に療養中の理事長は病気のために辞任した。一〇月二日、第二回の大衆会見がバリケードのもとで開催された。しかし、結果は前回と同じく結論に至らず、四日の二部中央闘争評議会との会見も、同様であった。その後、学生側は「なにも勝ち取れないままに決裂した」として、バリケードを築いたまま、二〇日間にわたり学内立ち入りを拒否し、封鎖を続けた。授業中止の長期化は、学生の進級・卒業・就職に影響をおよぼすようになってきた。一〇月二三日の第三回の大衆会見も解決への進展がなく、そして同月二八日の第四回の第七章 大学の「大衆化」247      

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