ショートヒストリー東洋大学
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試験中止ろが、二部中央闘争評議会の名によってストライキが宣言されて、一号館と二号館が封鎖された。また文学部闘争委員会も、理事長あての公開質問状への回答がなかったとして、バリケードを築いてストライキに入った。これをめぐって、ストライキ派の学生と反対派の学生が衝突する事件が発生し、ストライキ派の応援のために、他大学の学生が大学に来襲する事態となった。これ以後、学外の学生などのいわゆる「学外部隊」が、紛争の激化の要因をつくるようになった。こうした状況のもとで、九月一二日に第一回の大衆会見が開催された。療養中の理事長に代わり理事長代行などが出席したが、機動隊導入の自己批判をはじめとして、激しい質疑の応酬が続いた。議論は平行線のままで夕方に打ち切られたが、閉会直後から、学生側は大衆団交は決裂したとして、社会学部自治会、これに続いて、経済学部自治会もストライキに入った。大学側は文書によって、問題の学生会館についての、建設の意志・その用地・着工の時第七章 大学の「大衆化」245   

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