新図書館・学生会館の問題これを境に、紛争は学外者を加えた暴力的傾向を強め、全国の大学に拡大していった。大学紛争の全国化に対して、政府・文部省は、学長権限の強化、紛争校の教育等の停止・休止措置などを内容とする「大学の運営に関する臨時措置法」を国会に提出し、八月にこの法案を強行採決によって成立させたが、「大学立法」と呼ばれたこの法案の成立は、かえって一時的に反対運動を呼び起こした。一九七〇年ごろになると、長期にわたる全学的な紛争もその激しさを失っていったが、そうした全国的な傾向のなかで東洋大学の紛争は長期化した。すでに述べたように、東洋大学の川越移行をきっかけに発生した紛争は、延期声明によっては収束しなかった。新たな問題が新図書館建設にからむ形で浮上したのである。大学側と学生側との確約書では、新図書館の完成後に、学生会館の建設が確約されていたが、一九六八(昭和四三)年四月に新図書館建設の計画だけが発表されたために、学生側は「学生会館が白紙なら、図書館の六月着工も阻止する」として、反対運動を進めるよう第七章 大学の「大衆化」241
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