ショートヒストリー東洋大学
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反対運動の激化(全学からの六七名)を開催し、移行の方針決定を求めたが、議論は進展しないままに深夜に大学側は、学生運動が活発になる直前の九月一四日に、第一回の川越移行検討委員会およんだため、記名の所見を提出して閉会した。この時点では、委員四〇名のうち積極・消極を合わせた移行賛成は三四名と、八割強を占めていた。その後、教務、学生生活、施設・設備、財政の各分科会で審議が重ねられ、それらの結果を受けて、九月二七日に第二回の川越移行検討委員会が開催され、出席の四七名の委員によって、最終的に川越移行を原則として認めることが決定された。しかし、その翌二八日に、教職員組合執行委員会はその所信として、「再び川越移転問題について訴える」を発表し、川越移行が「大勢としては不可避の事態にある」かのような状況で進められているとして、移行問題を白紙にもどし、「真に全学的かつ民主、自主、公開の原則にもとづいた」検討を要求した。このように、教職員の間でまだ一致点が見出せない状況のなか、学生側は一〇月から、第七章 大学の「大衆化」235    

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