ショートヒストリー東洋大学
236/326

体育会など)と会見し、翌五日、学長が学生側と会見して事情を説明した。(参加者・約二五〇名)を開催し、翌八日も、川越での校舎建築の準備が進められているとのではないか、と危惧するまでに至った。大学側は文書発表後の九月四日、学生部長が学生側(学生自治会学部代表者会議、文化団体連合、これに対して、自治会を中心とする学生は、七日に教養課程川越移行反対の全学集会報告を受けて、約三〇〇名の学生が参加する抗議運動をおこなうなどした。その後、あるきっかけから、この運動はより先鋭化した。九月一六日、文学部の二学科の自治会の立て看板が撤去された。学生側はこれを大学当局の弾圧として受け止め、一八日には学生部長に対して謝罪を要求した。さらに二二日に、学部代表者会議は学生部長との「団体交渉」を申し込み、これを拒否されると、学生部次長との長時間の団体交渉を強行するなど、次第にその動きをエスカレートさせていった。学生の間でも、移行問題への対応の違いから対立が深まり、各学部自治会やサークルの立て看板が壊されたり、自治会室が荒らされるなどの事件が頻発するようになった。234    

元のページ  ../index.html#236

このブックを見る