ショートヒストリー東洋大学
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越校地の活用などの三点を「将来の計画」として記した。ところが、審査の段階で文部省から、白山校舎での経営学部の増設は「十分と認められない」との指摘を受けた。そこで、改めて文部大臣あてに劒木理事長名で、経営学部一部の教養課程の教育を川越校舎で実施する旨の文書を提出した。一九六六(昭和四一)年四月、経営学部はこのような経過で誕生したが、学部新設の認可の条件として、「白山地区の校地の拡張に努めること」「建築中の建物を予定どおり完成すること」の二つの留意事項が示されていた。そして、この留意事項の前提には、教養課程の川越移行の実施があった。しかし、白山校地の拡張は、大学の周辺に土地が見当たらないことと、地価の上昇があって、大幅な拡張は困難であった。また、東京都などの大都市への人口集中で過密化がエスカレートしていくなかで、これまで大都市の大学に認められていた校地基準面積の特例割引が、大学の都市への集中を抑制するために認められなくなっていた。そして、一九六八年度の入学者数については、さらに大幅に増加することがすでに予想されたので、白山校地の過密状態がより一層激化することは避けられなく、ここに問題が230    

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