ショートヒストリー東洋大学
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(昭和四〇)年になると、一万名近くとなった。名を超えて一・五倍に増えた。さらに、学部や学科の設置により、学生数は急増した。その結果、表11のように、一九六〇(昭和三五)年代半ばに学生数が急増して、一九六三(昭和三八)年度には学生総数がはじめて一万名を超えた。また、単年度の入学志願者数も一九六五このような規模の拡大による変化は、学内のいろいろな面に現れた。例えば、入学式はそれまで白山校舎の大講堂で一日のみで挙行されていたが、一九六三(昭和三八)年には学生数が増加して、同講堂で二日間にわたっておこなわれた。しかし、戦前につくられた大講堂の使用方法を工夫しても限界があり、その後、入学式は学外でおこなわれるようになった。会場は文京公会堂から東京都体育館へ、さらに一九七一(昭和四六)年からは日本武道館となり、より収容数の多いところへと変わってい222(『東洋大学百年史 通史編Ⅱ』p.567) 表11 志願者数および学生数の推移(昭和34〜37年度)年度志願者文経法社短大大学院工合計04643343504856307584036378357742438012642111617553604068113623886205708455741078289770465512576671228373094179113738677480 

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