附属高校の誕生加した一三九校のうち私立大学は一三六校と、圧倒的多数を占め、これらの新増設の私立大学の学部・学科は、人文および法・政・商・経の社会科学系が中心であった。一九六〇年代半ばから、日本社会は政治・経済・教育などあらゆる面で、これまでになかった新しい社会へと転換していく時期であった。総合大学としての東洋大学の出発は、このような社会の転換期と重なるようにしてはじまった。一九六一(昭和三六)年に渋沢敬三・竹村吉右衛門の要請を受けて理事長に就任した劒木亨弘は、まず総合大学の基礎を固めようと考え、翌年二月に川越校地の工学部に学科を増設するために、新校舎の建設に着手した。また、白山校地でも教育施設を充実させるために、新校舎の建設に着手した。そして、国民の進学熱の高まりを背景に、東洋大学は新しい教育機関をつぎのように設置した。一九六二年四月 工学部土木工学科・建築学科を開設。経済学部(一部)に商学科を開設。220
元のページ ../index.html#222