ショートヒストリー東洋大学
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                  浩         渋沢・竹村を中心とするこの委員会ではふたたび「募金趣意書」が作成され、目標を四億五〇〇〇万円とする募金活動が開始された。二月二一日、東京丸の内の富士銀行本店六階の安田清交倶楽部に、工学部の仮募金本部が設けられた。安田生命社長の竹村吉右衛門は、社業をすべて電話連絡で済ませることとし、会社には出勤せず、募金活動に専従する体制で臨んだ。大越などの教員も竹村とともに、丸の内に集中する日本の有名な大企業をおとずれ、社長・部長・課長などへの依頼を繰り返した。そのころ、財界の首脳人は豪州視察団として外遊していた。そのため、鉄鋼三社からの大口の寄付金が遅れていた。視察団が帰国した三月二〇日、八幡製鉄の稲山社長を訪ねたのは、病身の渋沢であった。渋沢は「顔のひげも剃られないまま病床から起き出て、痛む日本獅子吼会会長     参議院議員        埼玉県知事        埼玉県川越市長      大塚日琇劒木亨弘(理事)栗原 伊藤泰吉第六章 廃墟から総合大学へ211

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