ショートヒストリー東洋大学
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一億四〇〇〇万円を集めた。こうして渋沢と竹村は基本的な問題を解決して、万全な体制で工学部設置の審査結果を待った。一九六一(昭和三六)年二月一一日、大学設置審議会の総会が開催され、東洋大学工学部設置は満場一致で可決された。だが、同日の私立大学審議会では否決されてしまった。竹村はその否決の結果を聞いたが、あきらめはしなかった。その日のうちに否決した私立大学審議会の旧知の会長を訪ね、否決の理由をただした。その理由はこうであった。五億円の計画ならば、少なくとも七掛けの三億五〇〇〇万円を集めなければ直ちに破綻する。一億四〇〇〇万円の端は金がでは問題にならない。七掛けまで行ったら、年度末までにはまだ五〇日近くあるから、いつでも審議会を開いてやる。工学部設置の認可はまた振り出しに戻った形であったから、学内の落胆は大きかったが、限られた時間との闘いがふたたびはじまった。した ね     第六章 廃墟から総合大学へ209

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