ショートヒストリー東洋大学
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私立大学審議会での否決をひとまず解決させた。だが、渋沢敬三から竹村吉右衛門への依頼はもう一つあった。竹村は渋沢からこう言われた。工学部申請期日は、四日後の二月九日に迫っているが、東洋大学の資産負債のバランスが不均衡で、三日の間に一億四〇〇〇万円の寄付を集めなければ、文部省で申請が受理されない。竹村は予定では社用で九州へ出張しなければならなかったが、これをすべてキャンセルして、月曜日から資金募集に奔走した。朝、日立製作所の倉田社長を訪ね、すでに了解されていた一億円の今日中の振り込みを依頼した。竹村は電話や訪問での依頼を続け、渋沢の口添えも切り口にしながら、大越教授が顧問をしていた松下電器、以前に理事長候補になった市村清の理研光学工業、校舎建設を請け負った清水建設、財界人の今里広記に依頼した日本精工など同業四社に、それぞれ一〇〇〇万円の寄付を頼んだ。そして、三日間で208  

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