夜の八時半ごろまで、学校に残っておりましたとき、だれもいない教室でその職員の方と工学部新設の状況をいろいろと話しておりました。その職員の人は、私の手を握って、「先生方は、東洋大学を見捨てないでくれ」と言って、涙を落とされていました。職員の方の大学を思う姿勢に、私も非常に感動を受けました。準備委員の動揺はそれぞれの教員の信念もあって解消されたが、結局、一二月に大嶋理事長が財政破綻の責任をとって辞任した。急遽、校友理事から勝承よ夫おが暫定の理事長に就任したが、事態の打開は容易ではなかった。一二月二四日、大晦日を一週間後に控えたとき、安田生命の竹村吉右衛門は、東洋大学理事長と常務理事の訪問を受けた。同行してきたのは東京都教育信用組合の専務理事であった。竹村は大学関係者の三年振りの突然の来訪に唖然としたが、聞けば、大学では教職員全員の給料が二か月にわたり遅配になっているという。そのため、信用組合から三〇〇〇万円の融資を受けたいが、それについて個人保証をお願いしたいとのことであった。竹村は、今は社長だが、戦後に公職追放になり、蓄えもなく大金の個人保証の裏付けが第六章 廃墟から総合大学へ203 し
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