ショートヒストリー東洋大学
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不認可帰国した大越諄は、機会あるごとに産学協同の教育制度を日本でも採用すべきであると力説していた。大越は、大学側から「産学協同の教育理念」の了承と、「専任の教職員を少なくとも公務員の待遇以上に優遇する」という確約を受けて、工学部の機械工学科、応用化学科、電気工学科の三学科の陣容を、他の協力者とともに検討し、教授、助教授、講師の人選を進め、それを正味二か月で完了させた。九月三〇日、東洋大学工学部の認可申請書が文部大臣に提出された。一〇月に入り、一日に工学部建設後援会が設立され、一〇日には川越校地で木造校舎三棟の起工式がおこなわれ、一六日には大蔵大臣に対し指定寄付金の承認申請が提出された。募金額は三億円であった。一一月には工学部建設募金趣意書が配布され、同時に学生募集(工学部転部希望者)もおこなわれた。だが、一二月の理事会において大嶋理事長から、工学部の設置は不認可だったという報告がなされた。学部の設置には二つの審議会の承認が必要で、私立大学審議会の教員組織第六章 廃墟から総合大学へ199   

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