ショートヒストリー東洋大学
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は国民の生活水準も、住宅を除いて戦前の水準を突破した。そして、技術導入とそれにともなう設備投資の拡大によって、日本経済は戦後の復興から、新たな「高度成長」の過程に入った。「高度成長」は経済構造の近代化を要求し、技術革新と投資によって支えられ、そのために多くの理工系技術者の需要が喚起された。産業界からは、経済規模の拡大と産業構造の高度化が進展するなかで、理工系技術者の養成を拡充する要望書がたびたび公表されたが、それは産業教育に限らず教育全般にわたる内容をもち、また新制大学のあり方に対する批判を含んだ教育改革の提起でもあった。一九五六(昭和三一)年に、日経連(日本経営者団体連盟)は「新時代の要請に対応する技術教育に関する意見」を発表した。原子力、電子工業、オートメーションの普及による産業技術の発展を第二次産業革命に例え、アメリカ、イギリス、ソ連の積極的な技術者、技能者の養成計画を紹介して、大学の法文系偏重から理工系重視への転換を要望した。このような産業界の強い要請を受けて、政府は一九五七年の「新長期経済計画」、一九六〇年の「国民所得倍増計画」との関連において、大学教育における理工系技術者養成の量的な拡大と質的な改善をはかるようになった。教育界からも、一九五七年の中央教育審192   

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