ショートヒストリー東洋大学
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前に、竹村が同社の最高首脳の随行員としてヨーロッパを視察するその船中で知り合いとなっていた。突然のことで驚いている竹村に、常務理事は大学の実情をこう説明した。新学年に備えて新築した五号館の、第一回分工事代金の三〇〇〇万円の支払い期日が二月末に迫り、理事会の要請を受けた金策のために、お願いに来ました。早速、竹村は同社の財務部に頼んで融資の調査をおこなったが、結論は不適格だったのでただちに融資を断った。融資先を探す大学は状況の打開ができず、とうとう期日の二九日を迎えてしまい、ふたたび竹村を訪れた。「不渡りとなれば校舎は使用できなくなり、新学年を控えた学生の収容にも事欠くことになる」と言って、早朝からやみくもに融資を頼み込んできた大学の代表者に対して、竹村は、「とっさに応諾してしまった」という。これによって、一九五六年三月に五階建ての完成した新校舎が大学側に引き渡され、四月には法学部法律学科一部、二部が設置された。また文学部二部に仏教学科・中国哲学文学科、史学科、地理学科が増設された。う ん  竹村は雷門で有名な浅草の浅せ草そ寺じの信徒総代として同寺の再建に尽力したことがあり、その縁もあって、大塚日現から千葉県の本堂再建を相談されたことがあった。こうした間190

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