ショートヒストリー東洋大学
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和解東洋大学の理事会の内部対立は訴訟事件に発展したが、基本的には、大学の財政危機から発展した問題である。多額の資金援助を受けながら、その誓約の過程は十分に公開されず、事件のきっかけだけが情報として流れ、その情報だけが真実のこととなって、対立は拡大する一方であった。事件は戦後の復興に助力した大塚日現の名誉学長の称号剥奪決議にまで発展した。理事会をめぐる訴訟は、その後も続けられた。このような大学のあり方は、ついに社会の不信を招いて、一九五六年一二月には財政状態が悪化して、教職員の給料が遅配した。獅子吼会側が財政悪化の大学に対して、資金の返還を求めなかったのは、教団の信仰の中心である大塚の決断を忠実に守ったからであり、幹部が理事会構成の問題に限って提訴をするという原則を立てていたので、大学は最悪の状態に転落せずにすんでいた。一九五六(昭和三一)年二月六日、安田生命社長の竹村吉右衛門は、東洋大学の経済学部長兼常務理事の訪問を受けた。竹村は東洋大学と無縁であったが、この常務理事は二八年第六章 廃墟から総合大学へ189    

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