ショートヒストリー東洋大学
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にいたのですから、官途に就くことはできません。それに私は日ごろの誓願として、将来は宗教的教育的事業に従事して、大いに社会の発展のために尽くしたいと思っているのです。すでに述べたが、円了は東本願寺が給費生として派遣した学生で、そのために東本願寺に戻らなければならなかった。戻れば、教団のエリートとしての道が用意されていたはずであった。しかし円了は、自らをリーダーとする東本願寺の留学生たちによる学校設立の計画をもっていた。その学校の計画について、円了は大学四年生のはじめに、東本願寺に対して上申した。この上申書では、政府が内務省の他に、開国にともなって外務省を設けたように、教団も自教の講究のほかに、西洋の哲学や諸学そしてキリスト教を講究する学校として、「哲学館」を開設すべきであると訴えた。これが円了の哲学館を創立するという決意表明の初めであった。しかし、本山はそれを許可しなかった。円了と教団との交渉はその後も続けられたという。このように、円了は大学卒業以前からすでに、教育事業に携わるという将来の方向を定第一章 哲学館の創立17   

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