済学部一部が五二〇名、法経学部二部が三八〇名、短期大学部二部が四二八名、これらを合わせると、三〇三九名にまで増加した。一九四九年の時点では一一四一名であったから、二倍以上に達したことになる。学生数の大幅な増加は、すでに述べた財政危機の克服があって実現したものである。その資金援助をおこなったのは獅子吼会会長の大塚日現であった。かつて日雇い労働者のことを「ニコヨン」と俗称したが、これは当時の東京都の失業対策費の日当である二四〇円に由来するもので、この貨幣価値から考えて、戦後の経済混乱が極まるなかで、しかも半年間で九六〇万円の資金を調達することはかなりの困難があり、大塚も連日にわたり銀行を回って、ときには教団の本堂などの不動産を担保に入れて、大学側への資金を確保したという。この資金を「無利子無期限無担保」の大塚の「恩借金」として大学側では位置づけた。しかし、獅子吼会の幹部にすれば、会長の決断による資金援助ではあったが、大学側からの返済の保証がみえなかったので、その担保を大学側へ請求しなければならなかった。大学側は担保提供の代わりに「借用証書」の案のようなものを提出した。186
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