ショートヒストリー東洋大学
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「恩借金」法による学校法人の設立が、東洋大学でも進められた。一九五一(昭和二六)年三月に、東洋大学の財団法人から学校法人への変更がおこなわれ、新たな寄附行為が制定された。これによって、法人を代表する理事長が選定され、同月に新寄附行為による最初の評議員の選出が、はじめて選挙という形で実施された。新たな寄附行為による評議員は、教職員、卒業生(校友会員)、学識経験者から構成された。この学識経験者のなかから、一九五二(昭和二七)年には第一代の理事長として、大学財政への支援をおこなった獅子吼会の大塚又七が就任した。一方、大学の総合化への道は急速に進められ、一九五一(昭和二六)年四月には文経学部二部に国文学科、社会学科、経済学科の三学科が設置された。一九五二年四月には、これを分離して、文学部二部(国文科、社会学科)、法経学部二部(経済学科、法学科)とし、また新たに大学院文学研究科(哲学・仏教学・国文学・社会学の修士課程)が設置された。この結果、一九五三年九月の学生数は、文学部一部が一三一一名、二部が四〇〇名、経第六章 廃墟から総合大学へ185    

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