(昭和二四)年九月、小林の理事長・学長の兼務が決定され、大学側と獅子吼会側からそれうけれども、調査させたところ安くみても一五〇〇万円なければ立ち直れないだろう。この新円の窮屈な時代に、これは大変な事業である。しかし自分はこの大学を乗っ取るとか、会のものにするとか、そんなケチ臭い考えはちっともない。乗り出す以上は、名実ともに東洋一の大学にして国家文運に貢献し、次代の立派な国民を養成したいと思っている。小林による大塚への日々にわたる要請は続いた。だが、獅子吼会の幹部は東洋大学を戦前に内紛があった大学としてとらえていたので、資金援助には反対だったという。日参する小林に対して、大塚はこう答えた。あれから百日目だ。君の熱意も十分わかったし、私に他意のない真情もわかってくれたことと思う。ついに私は君の熱心に負けたから、幹部の反対を押し切っても必ず引き受けることにする。君も理事長を引き受けて必ず大任をまっとうしてくれ。二人して円了さんの霊を慰めてあげよう。こうして、戦後の混乱期に獅子吼会による東洋大学への支援がはじまった。一九四九182
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