「由緒ある大学」八月、校地を拡張するために、前年よりはじめていた隣接地購入の交渉がまとまったが、総額で二六一万円が必要であった。これらの資金を捻出するため、学内では一坪献納運動(一人一〇〇〇円の寄付)が起こされたり、夏期休暇中に学生の保護者で有力な人々を訪問して寄付金を募ったりしたが、社会全体の経済逼迫状態のなかで、思うような募金はできなかった。次年度に予定している経済学部の増設には、緊急で四〇〇万円を必要とし、新校舎の建設にともなう費用などの支出もあったが、基本となる経常費は赤字であり給料の支払い(月およそ四六万円)もままならない状況であった。当時、大学の運営は三名の満州(現在の中国・東北部)からの引揚者でおこなわれていた。この三名には資金面での裏付けがなく、また有力な資金提供者とのつながりもなかった。それぞれの努力にもかかわらず、大学財政は危機的な状況に陥っていった。そのなかで、学債募集に歩いていた校友の一教授が、地方新聞社社長であった校友の小180
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