新校舎の建設がはじまった。一九四九年四月の新制大学としてのスタート後に発表されたのが、「東洋大学大学復興寄附金募集について」である。この寄付金は戦災復興と新制大学として再出発する施設のためのものであったが、この文書には、これからの大学を「近代社会、近代文化においてはひとり文科の諸学科のみによる学問をもってしては偏狭である。わが新しき『東洋の学』は、政治・経済さらに理科学系統の学問を含む総合性をもったものであるべき」と述べている。この宣言によって、東洋大学は単科大学から総合大学へと発展を追い求めることになった。五月に入り、建設資金のために学債発行と寄付金の募集がおこなわれた。計画では、校舎建築費、理科実験室、電気施設、机・椅子、研究室、隣接地の購入、講堂・図書館・教室の修理のために、総額一〇〇〇万円が一九四九年度中に必要であった。それを学債で五〇〇万円、寄付金で五〇〇万円として、学生と校友に協力を求めたのである。散り散りになっていた全国の校友会も、組織の再建を急がなければならなかった。六月、急がれていた木造二階建ての新校舎が完成した。総工費は四六六万円であった。第六章 廃墟から総合大学へ179
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