ショートヒストリー東洋大学
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復興の問題た。戦前の教育では専門的・職業的な傾向が強いという批判と指摘があって、この一般教養課程が導入されたのである。この年の学生数は、新制文学部が二六三名、旧制文学部が二四七名、予科が一六八名、専門部が四七一名、合わせて一一四九名であった。新制大学の申請のとき、施設などの条件が整っていないために、経済学部の設置が不認可になったように、新校舎の建設が必要であった。だが、唯一の収入源である授業料も、完納者が七、八割にとどまり、また学生の実数は在籍者より二、三割少なかった。そのため、校舎の修理や経常費は借入金で補わなければならなかった。一九四六年から一九四九年までに戦災復興、経常費補助を目的に、銀行や文部省から借りた金額は、合わせておよそ五七四万円に達していた。この期間に、戦後経済の混乱から激しいインフレが進行していて、そのため一九四八年には授業料を値上げしなければならなかった。きびしい財政事情のなかで、一二月に木造178    

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