ショートヒストリー東洋大学
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戦後の教育改革も急ピッチで進められていた。一九四五(昭和二〇)年九月から、日本の占領にあたった連合国軍の中心は、アメリカの太平洋方面陸軍である。その総司令部(連合国軍総司令部、略称GHQ・SCAP)は、敗戦直後の時期、日本の教育機関とくに大学に関して、私学の役割に重大な関心を持ち、それを重視した。総司令部は、日本の教育の民主化に対する「自由主義者たち」または「自由主義的知識人」の役割を重視すると表明したが、そのような勢力の生まれる母体は、官・公立の学校ではなく、私立の学校であるとみていた。一九四六(昭和二一)年一月、天皇の人間宣言、つまり神格否定の詔書が発せられた。戦前のいわゆる「国体」の根底には、天皇の神格と、それを具体化した教育勅語があり、それらが教育の、そして国家体制の基本をなしていたからである。170   

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