廃墟からの再出発日本が敗戦にいたる末期には、アメリカ軍による大空襲がおこなわれた。一九四五(昭和二〇)年三月一〇日の「東京大空襲」によって多くの都民が死傷し、多くの家屋を焼失した。このとき、東洋大学は被災を免れた。しかし、四月一三日と一四日のB29機による空襲では、校舎に大きな被害を受けた。全四棟の校舎のうち、木造校舎三棟が全焼した。残されたのは鉄筋の一校舎だけであった。講堂も、一階の事務室を除く、教室、校友会室などが全焼し、また、天井に数か所の損傷を受けた。図書館も地下の各室は全焼したが、重要書類の学籍簿や書籍を保管していた地下倉庫は幸い無事であった。三〇〇発以上の焼夷弾が構内に散乱していて、それが空襲のすさまじさを物語っていた。さらに、五月二五日、再びアメリカ軍の空襲を受けて、焼け残っていた木造部分はすべて焼かれた。第二次大戦のこのような内地爆撃によって、多くの教育機関が被爆した。とくに被害が168
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