一年後に同評議会が出した答申は、要約すればつぎのようなものであった。大学運営の根本精神は「国体の本義」を体した学問精神によるべきで、文系学部は日本的特色を発揮し、理系学部も「国体・日本文化に関する教養」に留意する学部・学科、講座、学科目の設置改廃をおこない、国家精神のもとに総合研究を振興し、訓育には自由主義、功利主義を排し、「日本人としての自覚的修練」を重視する。このような国家主義の答申にもとづき、新たに「国体の本義に基づく教学の刷新振興」のための教学局が設置され、国民精神文化研究所と一体となって、教員や学生の思想統制を強めていった。東洋大学では、一九三八(昭和一三)年四月に文学部に史学科が増設されたが、さきの「一六教授辞職事件」を経て、新たな教員体制がつくられた。翌年の新学年を前におこなわれた学部・専門部の学則の変更では、それまでにはなかった「国家に有用なる人物」の養成がその目的に加わった。その実現として、福利教養講座や満州講座などを発展させて、一九三九年には専門部拓殖科、一九四一年には専門部経済教育科が開設された。これらの二学科は文科系単科大学の東洋大学に、新たに経済関係の分野を開設したとい164
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