ショートヒストリー東洋大学
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創立五〇周年昭和恐慌と金融恐慌に見舞われた日本は、都市においても農村においても国民生活は困窮を極めた。一方で、財閥や巨大企業が存在するという経済のゆがみは政治問題となり、一九三二(昭和七)年には海軍将校による「五・一五事件」が、一九三六(昭和一一)年には青年将校らによる「二・二六事件」というクーデターが起こり、そして翌年七月には中国での蘆溝橋事件をきっかけに、日本は戦争(日中戦争)の時代に突入していった。創立五〇周年を前にした東洋大学は、深刻な経営の問題をめぐって新たな学長選出がおこなわれた。校友側の推薦を受け銓衡委員会で選ばれた学長は、学外の経済界の人物であった。第一〇代学長となった大倉邦彦は、洋紙会社社長として実業界で活躍する一方で、日本精神思想への関心をもち、私財を投じて研究所を設立するなどの教育的な活動も展開していた。一九三七(昭和一二)年七月の新旧学長送迎会で、大倉学長は就任の動機をこう語った。私を動かして、学長就任を受諾せしむるに至った動機は、本学学祖の熱烈なる護国愛160   

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