ショートヒストリー東洋大学
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今年の入学者の減り方はまったくひどい。ほかの学校も相当減っているらしいが、この学校では、去年より三五〇人ほど少ない。そのほかにも、在学中でも退学届けを出す人も多く、また兵役その他の関係から籍だけおいているものがあるから、この上な和三)年一〇月、文部省専門学務局内に学生課が新設され、校卒業生の就職率は三〇%台まで下降し、「大学は出たけれど」という言葉が流行語となり、「大学の倒産」が話題となるなど、社会情勢の変化が直接反映されて、職業教育機関としての大学の位置づけが強まった。他方では思想取り締まりがはじまっていた。一九二八(昭翌年七月には学生部(学生課、調査課)に昇格・拡充された。東洋大学は大学昇格を達成したが、このような経済情勢の悪化もあって、表8のように、増加した学生数が二〇〇〇名台から七〇〇名弱へと急激に減少した。その当時の会計主任の談話が残っている。表8 学生数の変遷158(『東洋大学百年史 通史編Ⅰ』p.1107)年度予科文学部専門部合計2326昭和420845616641222790489685216181107868356  20301760130586660143680143252270220193

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