八四(明治一七)年に「哲学会」を創設した。哲学会の中心メンバーは、円了など三人のほかに井上哲次郎、有賀長雄がおり、東京神田錦町の学習院内に本部をおいていた。第一回の会合には、西周をはじめ加藤弘之、中村正直、外山正一など、日本に哲学を導入し発展させた人々も出席した。一八八七(明治二〇)年に学会誌『哲学会雑誌』を創刊したが、この巻頭で円了は「哲学の必要を論じて本会の沿革に及ぶ」という論文を発表し、彼の哲学に対する認識や学会設立の目的を示している。円了は、哲学の本質について、要約するとこう語っている。哲学は通常、理論と応用との二科に分けられるが、要するに理論の学であり、また思想の法則・事物の原理を究明する学である。そのため、思想のおよぶところ、事物の存するところ、一つとして哲学に関係しないものはない。そして、つぎの三点を強調した。第一に、哲学が諸学の基礎であること。第二に、哲学を研究・普及させることが、国家・社会の文明を発展させるために不可欠であること。第三に、西洋哲学の研究に加えて、東洋哲学の研究が必要であること。14
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