ショートヒストリー東洋大学
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「大学の倒産」倫理学東洋文学科第二部卒業生(漢文科)の無試験検定認可を得るなど、教学改革にも取り組み、そのため学生数も二〇〇〇名前後と増加した。ある日、来校した校友の一人に、中島は「学校の赤字をどうやら片づけた」と、ほっとしたような顔つきで語っていたという。こうして東洋大学は、「大学令」による昇格を達成したのであるが、昇格の第一陣が一九二〇年であったから、それからおよそ一〇年間かかって、専門学校から大学へと脱皮したのである。東洋大学が昇格したころ、海外への輸出などで世界経済に位置を占めつつあった日本は、一九二九(昭和四)年一〇月のニューヨークの株式市場の大暴落に端を発した世界恐慌に巻き込まれた。翌年一月には日本でも金解禁が実施され、農業恐慌、それに次いで経済恐慌が深刻化していった。大正期の高等教育拡張策によって卒業生は倍加したが、一九三一年前後の大学・専門学第五章 苦難の昇格運動157   

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