会を開催した。一九二七(昭和二)年一月、昇格を願った学生たちは、学生大会を開催して、全学生が学友会費の一部を基金として寄付することを決議した。三月には、再発足した昇格委員会で基金募集に関する規則が決定された。四月、中島学長は「東洋大学昇格基金募集趣意書」を発表した。この文書によって、昇格運動は本格化した。六月には、昇格委員会が開催され、学債を五〇円券と二五円券として発行することを決定した。同日、校友会総会も開かれ、昇格事業援助のために三〇万円の寄付金の募集達成を決議した。夏休みになると、学長は北海道から東北の諸県を巡回して寄付金の募集をおこなった。六四歳と高齢のため、夫人を自費で看護婦代用として帯同させての旅であった。そのときは東洋大学だけではなく、かつての教え子である他大学の卒業生からも多数の応募があった。帰京後、有力な校友や後藤新平などの政財界の有力者をおとずれては、募金の勧誘に回った。154
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