「愛理の学園」一九二六(大正一五)年一一月二三日、東洋大学は創立四〇周年記念式典を挙行した。中島学長はこの式典で創立の精神を、つぎのように述べた。哲学館の目的は創立当初においては、哲学の普及にあった。哲学は諸学の根源なり、というのが井上円了先生の信念であった。その後、欧米視察後に日本主義の学校の建立を掲げた。この講堂に掲げてある「護国愛理」の扁額こそ、本学の創立精神を象徴するものである。……この精神により東洋大学は四〇年の生命を保ってきたのである。中島は、理は理想を表し、理の徹底したものが哲学であり、その理も、現実に即しないものは生きた真理ではなく、愛理・真理の研究によって国家の発展に寄与するのが「護国愛理」であると語って、創立の精神を再確認した。そして、一二月に「大正」から「昭和」へと改元されてから、ふたたび「大学令」による昇格を目指した。まず教授会を開催して昇格後の学科課程をはかり、第一回の昇格委員第五章 苦難の昇格運動153
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