は事件の原因の一つと言われた、学長たる理事の任期を無期限から三か年に定め、会計を厳重にするために監事を新たに設けるなど、財団の寄附行為の改正をおこなった。そして、翌年二月、中島は第六代学長に就任した。再建の手順として、学風を刷新し、著名・知名の教授を招いて教育を充実させ、ついで学園経営の根本である財政再建を進めた。歳出を抑えるためにはつぎのようなこともした。理事会、維持員会などの会議のときは、これまで洋菓子やコーヒーを出し、ときには酒肴などを供することもあったが、先生はこれを廃止し、すべて塩せんべいと番茶ときめられた。しかもその塩せんべいも会議がすむと、残りを全部集めさせ、缶におさめさせて次回の会議にまたこれを出すというやり方で、以来、会議といえば、せんべい会議と名づけられたほどである。周囲から「ケチ、シミッタレ主義」と呼ばれたが、それは財政の質実性を求めて不必要な支出の削減を周知させるためのものであって、「しかし必要があれば、われわれ学生幹部と懇談し、そのために数千円の金を投じる」ことを惜しまなかったという。152
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