第二次昇格運動を拡大したとされる和辻哲郎らの教授は、その後も在任した)。八月になって、顧問会の岡田良平が第五代学長に就任した。九月の関東大震災では、書庫と図書閲覧室が倒壊しただけであったが、この年はまだ事件の余波が続いた。翌年六月、暴行事件で被告となった学生たちは、執行猶予付きの有罪判決を言い渡された(事件六月一七日、岡田の文部大臣就任にともない、新学長を選ぶことになった。選任されたのが、哲学館事件で文部省と対立した中島徳蔵である。中島は日記に、この日のことをこう記している。岡田前学長辞任につき、余をまず事務代理に指名さる。余は躊躇するも、四囲の事情やむを得ず、これに応ず。混乱を極めた東洋大学は、中島徳蔵を学長事務取扱として再出発した。中島が学長ではなく学長事務取扱になっていたのは、岡田良平の復帰を前提としていたからであるが、結局、岡田の再就任はなかった。150
元のページ ../index.html#152