昇格運動の中止 「大正一二年の紛擾事件」は、そのきっかけは昇格基金の管理の問題であったが、事件の根底には境野と高嶋に代表される大学の将来像の問題があった。二人はともに哲学館の将来を指導する人物とみられていたが、二人には学長と一校友という立場の違い、さらに言えば、宗教大学を指向して建学の精神を継承しようとする高嶋と、学生数の減少などの現状の問題を克服するために建学の精神を発展的にとらえようとする境野との、それぞれの理念の相違があった。哲学・宗教を哲学館で学んだ二人は、ともに仏教の革新を志した人物だけに、主義や立場をもっとも重視した。安藤や玄一がニューヨークで心配したように、事件は社会問題となり、学校を支える校友までが、学長派と反学長派とに二分されるという事態にまで進んでいった。六月に入り、顧問会では収拾策が模索されたが、それから一か月が過ぎようとした二六一〇〇万円を寄付する財界人がいたが、結局、この財界人は後日、慶応義塾に寄付したという)。148
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