哲学会の創設ど大きく、それまで私はいつも疑いや迷いの中にありましたが、このとき突然としてきれいに晴れました。その後、円了は生まれてから常に身近にあった仏教を、西洋の哲学を学んだ目で見直したとき、そこには数千年の歴史をもつ東洋の哲学があることを「発見」した。西洋哲学とは異なっていたが、真理を追究するものであるという点では同じであった。今日では、「井上円了は東洋哲学の分野で先駆的な役割を果たした」と評価されているが、こうして円了は、洋の東西を問わず、真理は哲学にありという新たな確信に到達した。在学中の井上円了は、一八八三(明治一六)年に「文学会」が組織されると、これに参加し、さらに個人的にも哲学の研究を進めた。しかし、円了は文学会の活動にあきたらず、哲学を専門に研究する学会の設立を考え、友人の三宅雄二郎(雪嶺)、棚橋一郎らとともに計画を練った。三宅は哲学科、棚橋は和漢文学科の、ともに先輩であった。彼らは西周などと相談して意見を聞いた。そして、一八第一章 哲学館の創立13
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