た。哲学館を卒業してから他大学でも学び、新聞記者を経て衆議院議員となり、欧米視察のために出張中であった。ニューヨークに着いて、安藤を迎えたのは円了の長男玄一である。玄一は三井銀行ニューヨーク支店にいた。六月二〇日、船上で発行された新聞で事件の発生を知った安藤は、幼少のころから哲学館の学生たちを知る玄一と、日本から来る東洋大学講師の藤岡勝二を待っていた。二人とも東洋大学の紛擾事件を心配していたからである。しかし、日本から来た藤岡に聞いてみても、その経過を多少くわしく知った程度であった。話題は自然にこの事件のカギを握る人物に移ったと、安藤はこう述べている。三人が三人とも問題にしたのは高嶋米峰の存在だ。ところが米峰は学長境野と正反対の立場にいる。むしろ「大義、親を滅する」の態度と察しられて、私はがっかりした。高嶋に向こうに回られては彌び縫ほ策(一時的なとりつくろい)ではおさまるまい。境野もどうしたことかと私は思った。高嶋米峰は境野哲と同じく、哲学館の三羽烏と言われ、ともに旧仏教の革新を唱えて う 146
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