長年つとめていた職員の解雇をめぐって、校友の勧告に従った学長と、反対した教授陣が対立した。一人の教授が解職に異議を唱えて辞表を提出し、これに続いて著名な教授が次々に辞表を提出した。その一人である和辻哲郎は、「この職員に図書館長の名を与え、昇格基金委員として生活費を与えざるかぎり、断然辞職する」と学長に告げ、さらに新設の文化学科の学生に辞職理由を語って学校を去ったという。和辻のこの「告別演説」が学生間に大きな波紋を呼び起こし、問題はつぎのような経過をたどって拡大した。五月 九日 一四日 一七日 一九日 幹事の解職が判明。校友会本部(学長派)が事態収拾のために評議員会を開催。これに反発し た校友有志団(反学長派)が、「東洋大学の根本革新を要望し学長・学監幹事などの処決を促す」の文書を学長に手交して、その回答を求めた。学長は「東洋大学紛擾の真相」で反論し、両者の論争がはじまった。教授団は四八名の連名で、学長に紛擾事件の解決を維持員会に一任するよ う勧告。大学部・専門部一年生、紛擾事件に関して「檄」と「宣言・決議」を発144
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