大学昇格の運動は、同月末に財団の寄附行為の変更認可があり、従来の商議員会に代わって維持員会が設置され、卒業生の校友も維持員となる体制で開始された。一〇月に入り、境野哲学長は全国の校友に対して、文書をもって「高等予科の新設と大学の供託金として六〇万円」の募金を要請した。その後、各地で校友を中心に昇格のための懇談会が開催された。境野はこうして大学昇格の計画を進めるとともに、一九二一(大正一〇)年四月に、「実際社会の活動的人物の養成」のため、専門部に二学科を新設した。昇格を果たした私立大学も、本格的な大学部をもつとともに、多くの人々に教育の機会を開放するために、昇格後も専門部を維持し続けたのが通例であった。この二学科は、それまで哲学・仏教と教育・倫理の分野を専門としてきた東洋大学が、その伝統を引き継ぎながら、大正デモクラシーに象徴される社会の変化に対応させた、総合的で実際的な学科で、新しい文科の大学として再認識されるきっかけをもたらすものであった。 「大正」という時代を反映して、学内には文芸運動が興り、文芸研究会の公開講演会に第五章 苦難の昇格運動141
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