ショートヒストリー東洋大学
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創立者の死去を含めた理想像を提示したものであった。当時の私立の専門学校にとって、「大学令」が「私立大学撲滅策」とみなされたのは、当然のことであった。創立者の井上円了は、二月三日、『朝日新聞』に「教育上私立学校に対する卑見」と題する一文を発表して、「大学令」をこう批判した。近ごろ、世界大戦の結果として民主主義なる語が流行して、ドイツの軍国主義が破れたから、世界は民主主義に一変するがごとく論ずるものがある。余は近ごろ唱うる民主主義は官民相対の語と解しておきたい。すなわち民主主義の相対は官主主義であるとみる方が穏当と思う。……従来、我が国のとりたる方針が宗教を除くのほかは、すべて官主主義とみてよい。とりわけ教育などは官主主義である。今回の高等教育拡張の方法をみても、そのことがよくわかる。つまり政府の方針は私立学校を減殺して官立学校を増殖するにありと推断するよりほかに考えようがない。これはすなわち官主主義というものである。138 

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