ショートヒストリー東洋大学
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名と少なかった。円了は哲学科のただ一人の新入生で、フェノロサや外山正一にカント、ヘーゲル、ミル、スペンサーの西洋哲学を、井上哲次郎に中国哲学を、原坦山、吉谷覚寿にインド哲学を学んだ。とくに西洋哲学には興味を引かれ、そこにこそ自分が求めていたもの、すなわち真理があると考えた。この時代、哲学はまだ新しい学問であって、一般にはほとんど知られておらず、「哲学」という訳語も、西周が一八七四(明治七)年の『百一新論』でつくりだしたばかりであり、哲学が「理学」という言葉で語られることも少なくなかった。しかし、その後、哲学の関係者の間では、単に西洋の哲学を輸入するだけではなく、東洋の哲学を探ろうという新しい動きが起こってきた。円了はフェノロサなどから講義を受けながら、自分でも「哲学とは何か」を研究した。その結果、後につぎのような体験をしたと述べている。ある日、大いに悟るところがありました。自分が十数年来かけて求めてきた真理は、儒教・仏教・キリスト教の中にはなく、ただひとり西洋で講究されてきた「哲学」の中にあったことを「発見」したからです。そのときの私のよろこびは表現できないほ12  

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