昇格の経過さらに、高等学校と並ぶだけの「大学予科」の開設が必要で、それまで私学の専門学校も予科を設置してはいたが、「その実態は、大半が官立校進学者のための予備校をかねるなど、きわめて貧弱で」あった。「大学令」では設備、編成、教員、教科書について、高等学校高等科と同じレベルのものを用意しなければならなかった。この「大学令」で定められた財団の基本財産額などの条件は、「実際には明確な数字上の根拠をもたなかった」と言われている。事実、「設立認可の指令をうけたる日より三週間以内」に、基本財産を供託できたのは少数の私学だけであり、私学側の要請により、政府は五、六年間の分割払いを認めなければならないほどであった。 「大学令」の公布後に昇格した私立大学は表7のような二五校である。ほとんどの私立の専門学校は、「大学令」によって認可されることが社会的評価につながることから、資金面での準備にとりかかった。まず、大正九年に昇格したのは八校であった。慶応義塾大学はすでに大学としての実質134
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