ショートヒストリー東洋大学
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「大学令」すでに述べたように、当時の帝国大学は、国家制度のなかにあって高い威信と保護を与えられ、学校体系の頂点に君臨し、学術研究と教育において代表的地位を占めていた。アカデミズムに立つ大学観はその象徴とされていた。明治末期から大正前期にかけて、そのような現状に対する学制改革の問題が取り上げられた。政府・文部省は、医師・司法官・行政官・技術者などになる者は「専門学校において技術者として教育すればよろしい、大学というものは極めて高尚なるものであって、財政にも余裕ありほかにも余裕があって、立派なる完全なる紳士をつくるというところである」という大学観を展開するばかりであった。この背景には、私学だけにとどまらず官立の専門学校にも大学昇格への動きがあり、帝国大学だけを大学とみなす政府・文部省にとって、それが強い圧力になっていたからである。そのことに対して一つの決着を示したのが、公私立の大学の設置を認めた「大学令」であった。130  

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