私学の岐路大正時代は、産業面の発達だけではなく、第一次世界大戦(一九一四年)を契機にしてデモクラシー思想が普及するなど、新しい変化が社会のなかに生まれた時期でもあった。社会の変化に対して、東洋大学がどのように対応すべきか、それをめぐる学内の動向もあった。円了は、第二代学長の交代にあたり学長復帰を要請された。しかし、「ふたたび学校に戻るときは、死者の復活か、あるいは幽霊の現出と同様である」と言って、再任を23410234046394531入学後は、第一種生・第二種生ともに同じ処遇で、大学当局も男子学生も、女子学生には好意的であったという。栗山にはじまる女子の入学は、翌年からも続き、表5のように年々増加していった。女子の入学が急増したのは、後述するように、一九二一年に新学科が開設されたからでもある。第四章 東洋大学へ125 (『東洋大学百年史 通史編Ⅰ』p.750)表5 女子入学者の推移年 度入学者数大正6789101112131415
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