学の入学規則を調べたところ、早稲田は「入学者は満一七歳の男子たるべし」とあったのでこれを見送った。東洋大学には同様の条項がなく、しかも、大学部の第二科は漢文の授業が多いので、志望にかなった上に、彼女自身がすでに教育を受けた教員が東洋大学にいたという条件も重なっていた。栗山は、ある日、その東洋大学の教授を訪ねて入学の希望を伝えたところ、「規則には男子だけとも書いてないから、女子はいないけれども、学長に話してみよう」と言われ、後日の教授からの回答は「今まで女子を入学させたことはないが、それは入学すべき女子がいなかったまでのことで、すでに東北帝国大学の例もあるので、入学が許可されることになった」というものであった。こうして栗山は東洋大学の女子学生の第一号として入学した。当時の学則では、中学校・師範学校卒業をおもな資格とするのが第一種生で、それ以外の第二種生は入学試験を課する場合と、入学試験委員会の選考によって無試験入学が許可される場合があった。栗山はその後者の方法で第二種生として入学した。124
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