ショートヒストリー東洋大学
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創立者の引退は、円了が幼少のころに塾で教えを受けた石黒忠悳と、明治の仏教革新に大きな役割を果たした大内青巒の演説があった。この演説を聞き、円了は帰宅後に過ぎ去った日々のことを思い出すなど、さまざまな思いをめぐらせた。そして、重なった問題の打開策として、すべての学校からの引退を決意した。こうして、円了は哲学館・哲学館大学という一つの時代をつくって終わりを告げることになった。井上円了が引退を決意したのは、一九〇五(明治三八)年一二月一三日のことである。それから二週間ほどの間に後任の学長を内定し、二八日には両者の間で事務引き継ぎに関する契約がおこなわれた。契約の内容は、第一は学長交代に関する日程(翌年一月から新学長に継承する)、第二は私学としての学風の継承と運営、第三は円了が保有する財産の確定である。後任の学長は講師のなかから選ばれ、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の出身で、天台学の114    

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