「神経衰弱症」革新を主張する側が全国の同窓生に連帯を求めれば、一方の学内派は革新派の中心者の四名を私文書偽造で告訴するまでに至った。告訴は仲裁した検事の調停により和解できたが、同窓生の対立というこの事件も、学生数の減少などとともに、創立者の円了を悩ませるものとなった。このときの円了を、ある卒業生はこう語っている。明治三七年一二月の上旬に、私が新聞記者生活をしていたので、「近来一、二、哲学館を攻撃するものがあり、あるいは何か学校に関して掲載を申し込む者があっても、採用してくれるな」というような手紙を、円了先生から寄せられたことがあった。あの大雅量の人も、神経を痛められたものらしいと思った。すでにこの年の夏ごろから、円了には心身の不調が現れていた。その度合いは、「半日仕事をすれば、半日の休息が必要であり、また昼間に少し校務をしただけで夜間には大いに疲労を感じる」ほどであった。寸暇をいとわず、すべてを活動に費やしてきた人間にと112
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